これも財産のひとつ

 

先日、偉大なる先輩から何十年ぶりかに電話がかかってきました。先輩は、ニューオータニ、東京プリンスホテルで仕事の経験があり、たしか36歳か37歳で池袋のメトロポリタン東京のバンケットシェフで引き抜かれた人です。私は当時24歳で尊敬するシェフでした。80年代初頭はイタリア料理店は、ほとんどなかった時代でホテルのメインダイニングもフレンチだらけ、各ホテルのフレンチレストランは本場フランスのレストランと技術提携をしていたりして本物がまじかで見えてフランス語が飛び交う厨房だったのです。例えば東京プリンスだったら本場フランス人シェフ ジョゼ゙ アリミ氏、オークラならジャック ボリー氏等、オータニは少し後ですがトゥール ダルジャン東京とか街場のレストランに負けないくらい情報や調理技術、言葉や食材など本場と変わらない程身近だったのです。それ以降、後続のホテルも本場の味とサービスに近づける為に、フィリップ グルートやマキシマン、トロワグロ等と技術提携をしていた時代です。その中でシェフに抜擢されるということは、まず統率力、料理に対しての知識、数字、言葉が出来なければ無理な話です。そんな中自分はレペルトワールや山本直文さんの辞書をひきながらがんばりました。この頃の話が出来るのも先輩の方々に厳しく教育を受けたからです。例えばデ、とサルピコンのきり方や大きさの違い、トンベとソテーの違い等をとっても・・・東京のフレンチレストランの厨房はまず言葉がわからなければ仕事にならないのです。そんな中、同期の料理人と朝まで料理についてを語ったり、今ではみんなばらばらになって活躍してますけど、なにか胸に熱い想いが、ロゼと生もわからないで料理やってる人も多いみたいですが正しい知識も財産のひとつだと思いました。